先生に叱られた後の母の優しさ

私は子供の頃、埼玉の田舎の町に住んでいました。駅から近かったので駅前に行くとお店もたくさんあって賑やかでしたが、少しでも奥の方へ行くと川があり、その近くには田んぼや畑が広がっているようなのどかな場所でした。
今では見かけないような駄菓子屋さんなどもあり、子供の頃はいつもそこで駄菓子を買っては、公園のブランコに乗りながら食べたりしていました。
家族は五人家族で、真面目で堅物だけど子供達と遊ぶのは大好きなサラリーマンの父と、口うるさいけれども優しくて明るく、色々な遊びを教えてくれる料理上手な専業主婦の母、私より二つ年上で活発で美人で成績もよく、時々意地悪もするけどいつも一緒に遊んでいた姉、七つ年下のやんちゃな幼い弟、そして私はといえばのんびり屋でマイペース、勉強はそこそこできるけどスポーツはまるでダメな女の子でした。
クラブ活動などは特にせず、学校が終わると家で折り紙や読書などして過ごすのが好きなタイプでした。
今でも時々思い出す、悲しい経験をしたのは小学校三年生の時です。
その当時の担任の先生は、中年の女性だったのですが、体育会系でハキハキしており、やんちゃな男の子達を大声で叱り飛ばしたり、竹の定規で頭を叩いたりするようなタイプの先生でした。機嫌の良い時は冗談を言ってみんなを笑わせたりしていたので一部の生徒や親達からは慕われていましたが、怖い感じがして私は苦手でした。
私はどちらかというとおとなしいタイプの生徒だったので、めったに怒られることは無かったのですが、ある時会議室の掃除当番になりました。掃除が終わり、教室に戻って帰りのホームルームを受けていたのですが、そのホームルームが終わりに近づいた時、先生が不意に私に声をかけました。「〇〇、会議室の窓の鍵は忘れずに閉めたか?」と。その声にかぶさるようにして、日直の「きおつけー、れい!」の掛け声がかかりました。その時私はとっさに、先生の呼びかけに答えず、日直の声に従って、きおつけと、礼をしました。私が今口を開くことで、クラス全員のあいさつが妨げられてしまうと思ったのです。もちろん礼が終わったあと、改めて先生の問に答えるつもりでした。
しかし礼のあと、私が口を開くよりも先に、「おい、お前!なんで先生を無視したんだ!」という怒鳴り声がとんできました。
先生は私が問いかけを無視したのだと思ったのです。今思えば、先生のあの怒り方は大人気ないと思いますし、理不尽だと思います。自分もその場で理由を話せば良かったのですが。
でもその時の私は、先生が大きな声で自分に向かって怒鳴っている恐怖で、何も言う事ができませんでした。こっちに来い!と言われ、先生の机の前に立たされ、青い顔をしたままずっと彼女の怒鳴り声を聞いていました。頭の中は真っ白でした。かろうじて分かったのは、先生を無視するなんて最低だということ。私が会議室の窓の鍵を閉めるのを忘れたからその事を指摘されて無視したのだろう、そんな行為はずるいし、卑怯だということ。そんな事を延々と、気付けば二時間以上もお説教されていました。
私は心の中で、先生を無視した訳でも、都合が悪い質問だから答えなかったわけでもないのに、と思っていましたが、それを先生にわかってもらえるように説明する自信がなく、黙ったままでいました。
ようやくお説教が終わり、教室から解放された頃には外は夕焼けになっていました。
しょんぼりと肩を落としながら家路についていると、家の方角から駆け寄ってくる人影が見えました。母でした。
どうやら先生が私を帰した後で、こういう事情で帰りが遅くなりましたと家に電話していたようです。
先生がどのように事情を話したのかはわかりませんが、母は私の姿を見つけるなり、駆け寄って抱きしめてくれました。
その瞬間に張り詰めていた糸が切れ、私は母の腕の中で大声をあげて泣きました。
そして、先生に叱られたけど自分はそんなつもりではなかったこと、それを説明できずにずっと黙っていたことを話しました。
それを聞きながら、母も一緒になって涙を流してくれました。先生に誤解された悔しさ、悲しさと、母にわかってもらった嬉しさが一緒くたに混ざりあって涙となってたくさん流れました。
30代になった今でも、時々思い出しては、悲しさと、母からの愛を感じた嬉しさとを同時に感じる子供の頃の思い出です。