「 身辺雑記 」一覧

クリスマスを一人で過ごす女

クリスマス自体を意識するようになったのは、当然のことながら子供の頃です。
「サンタさんに何をお願いするの?」という、余りにもベタな母親の聞き取りからクリスマスは既に始まっているのです。
まんまと乗せられ「赤いハンドバックが欲しいの」と私。
「サンタさんに伝えとくね」母親。
数日後、私「やっぱり白いバックがいいかな~。キツネのマフラーも欲しくなっちゃった。」
母親「サンタさんに伝えておくね。サンタさん連絡付くかなぁ(怒)」
既に買って隠していたと見えます。
確か、最終的に無理矢理、赤いハンドバックに誘導されてしまった記憶があります。
そんなやり取りが数年続いた後に、クラスの中でサンタなんていないんだ論争が巻き起こり、学校帰りもいる。いないで大モメ。
あえなく少女の夢は終わりを告げたのでした。
その後、再び意識をするようになったのは、就職して彼氏が出来てからです。
高校を出て就職し、19歳から付き合い始めました。
一つ年上の彼氏は一人暮らしをしていたせいもあり、お金を殆ど持っていませんでした。
その若さで借金もあったようです。

ファミレス行こうよ。と誘われ店内に着席すると同時に、今日財布持ってないんだ。
と始まります。
そのくせ、私よりも値段が高い食事を注文し、デザートまでしっかり食べるのです。
クリスマスプレゼントは何故か私からの品の方が高額。自分がもらうのはその3分の1位でした。
当時はクリスマスを一人で過ごすということ自体、負け組の烙印を押されてしまったようなものでした。
彼氏もお金は無いけど、性格は良い人だし。まあ、いいかな。と思っていました。
友人達も当然、彼氏と過ごしていました。
それが普通。一人で過ごすなんて有り得ない。私も皆もそう思っていました。
その後、友人たちは順調に愛を育み無事結婚していきました。

私といえば、数年ほど付き合った後別れることになりました。
一人になってからだいぶ経ちます。

クリスマスに仕事だからと言って不満なんぞありません。
残業代出るし。若干人手が足りないけど気にすることではありません。
結局、今年の24日の夕ご飯は、鯖の味噌煮の缶詰とご飯山盛り3杯。トマトジュース、コーヒー。
25日は納豆2パックにご飯山盛り3杯に味噌汁、ポテトチップ。
クリスマスのクの字もありませんでした。
あ、でも、自分にプレゼントは買いました。
一眼レフカメラです。
日にち指定をした覚えがないのに、何故か25日に配達されました。
時間指定もしていないのに夜間配達で届きました。
これにはちょっとびっくりしました。
神様が見ていてくれたのでしょうか?(払うの自分ですけど)
多分、来年もこんな感じでせっせと仕事をしていると思います。
繁忙期ですから、夜遅く帰宅して手頃な食事を済ませるのでしょう。
せめてデザート位はコンビニで買って帰ろうかな。
いや、それ、かなり恥ずかしいでしょ。
見栄を張ってホールケーキを買っても冷蔵庫が小さいから入りきらないのです。
そんな無駄なこと出来ません。

過去の思い出話を書いていたら似たような人がいるのを発見しました。

クリスマス ひとり 女


老朽化

老朽化により、まともに動かなくなった設備の修理を先輩から言いつけられました。本来なら、その先輩の担当の仕事です。会社に行くなり、宿題だ、と言われたのでイヤな予感がしました。この設備の何処がおかしいか当ててみろ、というのです。私が、いくつか適当に言った答えは全部ハズレでした。ゴム製の弁が老朽化して機能していないのが理由でした。新しい部品を発注してフィルター部分のボルトを全て外し、新しい部品に交換して、正確に動くかどうかも確認しろというのです。これは自分の担当の機械ではない、あなたの担当の機械だ、と言いましたが、「おまえに仕事を覚えてもらうためだ」、と言われて押しきられました。最近、この人は面倒な仕事を全部、私に丸投げしてくるような気がします。


極楽の湯

極楽の湯は、見知らぬおじいちゃんと私の不思議な思い出の場所でもあります。

私が定期的に行っている健康ランドは、千葉県稲毛区にある極楽の湯です。
その極楽の湯の敷地には、ゲームセンター有り、カラオケ有りなので、軽く遊んでから、ゆっくりと温泉へと言う流れが、我が家の常となっています。
場所も家から車で20分ほどで着きますし、国道16号沿いなので、丁度良い距離でもあります。
節目、節目には家族と行きますが、仕事が忙しかった月末などは、土曜休みの午前中に、一人で行ったり、時間が合えば、近所の友人と行ったりしています。
値段は他のスーパー銭湯と比べると、やや高めの土日900円なのですが、設備が充実しているので、あまり高いと思った事はありません。
多く行くとサービスもあるので、何かとお得だと思います。この極楽の湯が出来る前は、健康ランドへ行くにしても、遠い場所だった為、何か遠出をした帰りに寄る感じで使用していたのですが、極楽の湯が出来てからは、近すぎず、遠すぎずで、温泉で気持ち良くなった余韻を保ったまま、家に帰れるのも良いと言う事でこの極楽の湯を活用しています。
子供達にとっても、健康ランドは、やはり一種のイベント的な場所の様なので、レジャーに行ったりした帰りにも、この極楽の湯に寄る様にしています。
それはレジャーへの行きは、自然とテンションが上がるものですが、帰りはと言うと下がるものです。
下がったまま、家に帰るのも何だか寂しいので、レジャー帰りにも、イベントを入れる様にしました。
それが我が家にとってのイベント、極楽の湯なのです。この極楽の湯に家族で行く時は、曜日や季節もバラバラなのですが、一人だったり、友人と行く時は、必ず土曜日の午前中と決まっているので、良く同じお客様と会います。
最初の頃は、またいたと言う程度だったのですが、毎回、会うと自然と会釈をする様になり、簡単な会話もする様になっていきました。
その方は、見た感じ、80歳過ぎたおじいちゃんです。おじいちゃんなのですが、ものすごく話好きなのです。最近は、風呂場で会うなり、話かけてきてくれて、お風呂を上がってから、食事をする中になりました。
私の父親とほぼ同じ世代の方と、こんなにフレンドリーになったのは初めてでした。しかし、出会って半年過ぎあたりから、そのおじいちゃんを極楽の湯で見かけなくなってしまいました。
何か病気なのか、心配でしたし、こんな事なら連絡先の交換をすれば良かったと後悔しました。

以後、半年経っても、そのおじいちゃんを見かける事はありませんでした。
ネガティブな事は考えない様にしましたが、もしかしたらと言う思いも正直過ぎりました。そう思うと涙が溢れてきました。
でも、父ほどの年齢の方と楽しく、過ごせた事で、未来への希望を持たせてくれました。
いつか、あのじいちゃん見たいに、気さくに若い人に声をかけられる様になりたい。そう思いました。
あれから5年が経ち、私は今だに月2回ペースで、極楽の湯に行っています。その度に、頭のどこかで、よぉ、元気だったかと声を掛けてくれそうでなりません。
勿論、今も一人でも家族でも極楽の湯には行っていますが、私にとっての極楽の湯は、思い出の場所となっています。今は健康ランドも、半分以上は年配の方がしめています。
今後はもっと増えていくのでしょう。だからこそです。だからこそ、おじいちゃんと若者が唯一、同じ空間を共有出来る場所が、温泉であったり、健康ランドなのではないでしょうか。
また、話しやすい環境が健康ランドの良い部分でもあると私は思っています。

今では土曜日の午前中に行っては、おじいちゃんとのネットワークが出来ています。風呂場で話すおじいちゃんはみんな少年です。
小さな事でも目をキラキラさせながら、話すおじいちゃんを見ているだけで、元気を頂ける。そんな体験を今も尚、継続中です。


GAPのノースリーブ

GAPは好きなのでメール会員登録していると、定期的にセール情報などメール案内がくるので重宝しています。かなりお得な価格で購入することができるので、そういう時にまとめて購入したり色々と工夫しながらショッピングは楽しんでいます。
GAPはシンプルでお洒落なファッションで大人の女性も上手にきこなせますし、オアフィスカジュアルや普段着としても着れてアレンジしやすいので色違いで何着も同じデザインの物を購入するようにしています。
ノースリーブは好きで、アラフォーになって二の腕が気になりますが、海外の女性など体型を機にすることなく自分好みのファッションを楽しんでいる姿を海外旅行へ出かけた時に見た時、年齢に関係なく自分で好きなファッションを楽しもうと考えるようになり、ノースリーブを着るようになりました。
ノースリーブはホワイト、ブラック、ブラウン、パープル、レッドなど他数種類あるので10着近く持っています。
デザインもシンプルなので、色々と組み合わせしやすいのでシャツのしたにノースリーブを着たり、ノースリーブで着こなした後、カーディガンを羽織るなど色々とアレンジしやすいのでファッションを楽しんでいます。
二の腕に目線が行かないように工夫しようと思い、前部分に大柄なデザインが入ったノースリーブを選ぶと目線が前面にいくので、二の腕を気にしなくなります。
ノースリーブもデザインによって雰囲気が違いますし、ちょっとゆとりがあるデザインはパンツルックに合いますし、ぴたっとした体のラインがでるノースリーブはスカートやパンツルックなど色々な組み合わせ方ができるので楽しくアレンジして着こなしています。
ノースリーブの金額も1000円以内のものから5000円近くするものまで幅広く持っているので、数種類選んで購入しました。
娘と一緒に買い物へ出かけ、親子なので似合っているものやそうでないものなどハッキリとアドレスしてくれるので、ショッピングへ出かけるのも楽しくなります。
友人と出かけても「似合っているよ?。」としか言わないので、娘と出かけるようになり、辛口コメントなので結構参考になりますし、アラフォー世代が着るにはどうかな?という服装もハッキリと言ってくれるのでショッピングする際には失敗がないので安心できます。
特に柄物を選ぶ時は、老けて見えるデザインもあるので、なるべく老けて見えず、あまり若々しくならない適度な柄物を選ぶようにしています。
やはり派手になってしまうと年齢とマッチしなくなるので、なるべく自然な感じで色々組み合わせしやすいようなデザインを選んでいます。
一番気に入っているものは無地でシンプルなデザインのノースリーブです。
夏暑い時はジーパンにこれ1枚で平気ですし、出かける時はシャツを羽織るなど普段着としても着れるので便利です。
会社は、ノースリーブを着た後にジャケットを羽織りますし、職場ではジャケットを羽織って仕事をしているので中はノースリーブで涼しくなりいい感じで仕事がはかどります。
腕がごわつくこともなくノースリーブは気に入ってます。アラフォーになってもノースリーブを上手に着こなしているとカッコ良いですし、やはり自分に自信が持てるようになるので、定期的に着るようにしていますしスタイルを意識することでダイエット効果もあるので、夏は積極的にノースリーブを着用するようにしています。
ファッションが楽しくなり、娘と一緒にショッピングへ出かけるのが楽しみの一つになったので、色々とアレンジするようになり、また試着した時に似合っているかどうかハッキリと娘は言うのでノースリーブを選ぶ時も娘の意見は取り入れて選ぶようにしています。

それで、先日購入したばかりのノースリーブを着て女子会に出かけたのですが、、、たまたま偶然、トイレの鏡で腕を上げることがあって目にしたものは、、真っ黒に変色した自分の脇でした。
いつから、こんなことになっていたのかは分かりません。
しかしながら、こんな脇を自分の身体にくっつけているなんて恥ずかしくて、おちおち外も歩けません。

焦った私が見つけたものは、コレ

http://xn--68jf5is38uilhxw5aou7b.xyz/

世の中には似たような経験をしている人もいるものですね。


ヒゲ

これから書き綴るヒゲが汚い男性は30代半ばですが四捨五入してアラフォー世代の30代です。
そのアラフォーの30代男性と私との間柄は、私自身既婚者ですので、いわゆる旦那の友人といった家族ぐるみな関係になりますo(^-^)o
私のお家にて、結構な頻度で賭け事ではない一切賭けない娯楽麻雀を手積みでやるのですが、その麻雀のメンバーの中に必ずその旦那の男性友人は来ております。
麻雀というゲームは、人が4人いないと成り立たないのと、麻雀を打てる人自体がやはり少ないので、必然的に面子は決まった人達になります。
この前も麻雀を我が家でやる事になり、案の定、例のヒゲを生やした男性もやってきました(^ー^)
私と旦那と、ヒゲの汚い男性と、もう一人も旦那の男性友人で、計四名でやる事になったのですが、そのもう一人の男性も私の旦那もヒゲの処理はしているのでヒゲ面といった事はありません。
ですので、より一層そのヒゲの生えている男性友人の汚いヒゲが際立ってしまっております(^-^;)
そのヒゲの男性友人の職業なんですが、定職に就いておらず、アルバイトや派遣としても一切働いていない正真正銘の無職ニートであります(–;)
やや引きこもり気味な人なので、今世間的に言われている若者の引きこもりニートに該当すると思われます(==;)
普段の格好は、麻雀にやって来る時はほぼ9割方、上下セットアップと言えば聞こえが良いけれども、単なるジャージな格好です。
ジャージと言ってもブランド物やメーカー物ではなく、ノーブランドの良くわからないジャージですね。
ヒゲが汚いと思った瞬間ですが、毎回ヒゲを生やして我が家を訪れているので、ある意味汚いヒゲ顔にも慣れっこ状態になってしまいましたけれど、ただ、やはりカミソリや電気シェーバーで剃るなり毛抜きで抜くなりしてお手入れというかヒゲ処理はして欲しいものですね(・_・)
私の旦那もずぼらな方なのですが、その友人は毎度毎度ヒゲを生やしてきているので、逆にヒゲを生やしていない顔というのは冠婚葬祭以外では見た事が無いくらいなレベルです。
無職で引きこもり気味だからか、あまり人目を気にしていないのかもしれませんが、やはりお家から少しでもお外に出る時くらいは、見た目的にもヒゲを剃るなりして処理をして欲しいのが本音であります(T^T)
…但し、旦那の男性友人なので私がそれとなく指摘するのもどうかと思いますし、もしかしたら敏感肌やアトピー過ぎて肌負けを起こしてしまう体質だったらヒゲ処理をして欲しいとは強くは言えませんしね。
ちなみに、その汚いヒゲを生やしているご本人は、自分のヒゲについては全然気にしておらず、勿論、無職でニートで引きこもり気味な事に関しても多少の危機感を抱いている程度でして、もう10年以上無職状態で軽いお仕事すらもしていない状態であります(TεT)
ある意味、そこまで行くと、ヒゲごときで気にならないのかもしれないですね。
ヒゲ以外でしたら、ジャージな格好ではあるものの、きちんと洗濯されているっぽいので全体的に不潔といった事は無いです(゜.゜)
でも、こんな感じにするともっと良いかもしれません⇒青髭 脱毛


先生に叱られた後の母の優しさ

私は子供の頃、埼玉の田舎の町に住んでいました。駅から近かったので駅前に行くとお店もたくさんあって賑やかでしたが、少しでも奥の方へ行くと川があり、その近くには田んぼや畑が広がっているようなのどかな場所でした。
今では見かけないような駄菓子屋さんなどもあり、子供の頃はいつもそこで駄菓子を買っては、公園のブランコに乗りながら食べたりしていました。
家族は五人家族で、真面目で堅物だけど子供達と遊ぶのは大好きなサラリーマンの父と、口うるさいけれども優しくて明るく、色々な遊びを教えてくれる料理上手な専業主婦の母、私より二つ年上で活発で美人で成績もよく、時々意地悪もするけどいつも一緒に遊んでいた姉、七つ年下のやんちゃな幼い弟、そして私はといえばのんびり屋でマイペース、勉強はそこそこできるけどスポーツはまるでダメな女の子でした。
クラブ活動などは特にせず、学校が終わると家で折り紙や読書などして過ごすのが好きなタイプでした。
今でも時々思い出す、悲しい経験をしたのは小学校三年生の時です。
その当時の担任の先生は、中年の女性だったのですが、体育会系でハキハキしており、やんちゃな男の子達を大声で叱り飛ばしたり、竹の定規で頭を叩いたりするようなタイプの先生でした。機嫌の良い時は冗談を言ってみんなを笑わせたりしていたので一部の生徒や親達からは慕われていましたが、怖い感じがして私は苦手でした。
私はどちらかというとおとなしいタイプの生徒だったので、めったに怒られることは無かったのですが、ある時会議室の掃除当番になりました。掃除が終わり、教室に戻って帰りのホームルームを受けていたのですが、そのホームルームが終わりに近づいた時、先生が不意に私に声をかけました。「〇〇、会議室の窓の鍵は忘れずに閉めたか?」と。その声にかぶさるようにして、日直の「きおつけー、れい!」の掛け声がかかりました。その時私はとっさに、先生の呼びかけに答えず、日直の声に従って、きおつけと、礼をしました。私が今口を開くことで、クラス全員のあいさつが妨げられてしまうと思ったのです。もちろん礼が終わったあと、改めて先生の問に答えるつもりでした。
しかし礼のあと、私が口を開くよりも先に、「おい、お前!なんで先生を無視したんだ!」という怒鳴り声がとんできました。
先生は私が問いかけを無視したのだと思ったのです。今思えば、先生のあの怒り方は大人気ないと思いますし、理不尽だと思います。自分もその場で理由を話せば良かったのですが。
でもその時の私は、先生が大きな声で自分に向かって怒鳴っている恐怖で、何も言う事ができませんでした。こっちに来い!と言われ、先生の机の前に立たされ、青い顔をしたままずっと彼女の怒鳴り声を聞いていました。頭の中は真っ白でした。かろうじて分かったのは、先生を無視するなんて最低だということ。私が会議室の窓の鍵を閉めるのを忘れたからその事を指摘されて無視したのだろう、そんな行為はずるいし、卑怯だということ。そんな事を延々と、気付けば二時間以上もお説教されていました。
私は心の中で、先生を無視した訳でも、都合が悪い質問だから答えなかったわけでもないのに、と思っていましたが、それを先生にわかってもらえるように説明する自信がなく、黙ったままでいました。
ようやくお説教が終わり、教室から解放された頃には外は夕焼けになっていました。
しょんぼりと肩を落としながら家路についていると、家の方角から駆け寄ってくる人影が見えました。母でした。
どうやら先生が私を帰した後で、こういう事情で帰りが遅くなりましたと家に電話していたようです。
先生がどのように事情を話したのかはわかりませんが、母は私の姿を見つけるなり、駆け寄って抱きしめてくれました。
その瞬間に張り詰めていた糸が切れ、私は母の腕の中で大声をあげて泣きました。
そして、先生に叱られたけど自分はそんなつもりではなかったこと、それを説明できずにずっと黙っていたことを話しました。
それを聞きながら、母も一緒になって涙を流してくれました。先生に誤解された悔しさ、悲しさと、母にわかってもらった嬉しさが一緒くたに混ざりあって涙となってたくさん流れました。
30代になった今でも、時々思い出しては、悲しさと、母からの愛を感じた嬉しさとを同時に感じる子供の頃の思い出です。