「 2017年03月 」一覧

ヒゲ

これから書き綴るヒゲが汚い男性は30代半ばですが四捨五入してアラフォー世代の30代です。
そのアラフォーの30代男性と私との間柄は、私自身既婚者ですので、いわゆる旦那の友人といった家族ぐるみな関係になりますo(^-^)o
私のお家にて、結構な頻度で賭け事ではない一切賭けない娯楽麻雀を手積みでやるのですが、その麻雀のメンバーの中に必ずその旦那の男性友人は来ております。
麻雀というゲームは、人が4人いないと成り立たないのと、麻雀を打てる人自体がやはり少ないので、必然的に面子は決まった人達になります。
この前も麻雀を我が家でやる事になり、案の定、例のヒゲを生やした男性もやってきました(^ー^)
私と旦那と、ヒゲの汚い男性と、もう一人も旦那の男性友人で、計四名でやる事になったのですが、そのもう一人の男性も私の旦那もヒゲの処理はしているのでヒゲ面といった事はありません。
ですので、より一層そのヒゲの生えている男性友人の汚いヒゲが際立ってしまっております(^-^;)
そのヒゲの男性友人の職業なんですが、定職に就いておらず、アルバイトや派遣としても一切働いていない正真正銘の無職ニートであります(–;)
やや引きこもり気味な人なので、今世間的に言われている若者の引きこもりニートに該当すると思われます(==;)
普段の格好は、麻雀にやって来る時はほぼ9割方、上下セットアップと言えば聞こえが良いけれども、単なるジャージな格好です。
ジャージと言ってもブランド物やメーカー物ではなく、ノーブランドの良くわからないジャージですね。
ヒゲが汚いと思った瞬間ですが、毎回ヒゲを生やして我が家を訪れているので、ある意味汚いヒゲ顔にも慣れっこ状態になってしまいましたけれど、ただ、やはりカミソリや電気シェーバーで剃るなり毛抜きで抜くなりしてお手入れというかヒゲ処理はして欲しいものですね(・_・)
私の旦那もずぼらな方なのですが、その友人は毎度毎度ヒゲを生やしてきているので、逆にヒゲを生やしていない顔というのは冠婚葬祭以外では見た事が無いくらいなレベルです。
無職で引きこもり気味だからか、あまり人目を気にしていないのかもしれませんが、やはりお家から少しでもお外に出る時くらいは、見た目的にもヒゲを剃るなりして処理をして欲しいのが本音であります(T^T)
…但し、旦那の男性友人なので私がそれとなく指摘するのもどうかと思いますし、もしかしたら敏感肌やアトピー過ぎて肌負けを起こしてしまう体質だったらヒゲ処理をして欲しいとは強くは言えませんしね。
ちなみに、その汚いヒゲを生やしているご本人は、自分のヒゲについては全然気にしておらず、勿論、無職でニートで引きこもり気味な事に関しても多少の危機感を抱いている程度でして、もう10年以上無職状態で軽いお仕事すらもしていない状態であります(TεT)
ある意味、そこまで行くと、ヒゲごときで気にならないのかもしれないですね。
ヒゲ以外でしたら、ジャージな格好ではあるものの、きちんと洗濯されているっぽいので全体的に不潔といった事は無いです(゜.゜)
でも、こんな感じにするともっと良いかもしれません⇒青髭 脱毛


授乳後は乳首が黒くなるし乳房はたれて辛いです!

子供ができて、嬉しいと感じることで、自分のことを考えることがあとになってしまいますね。
そのため、自分がこんなに変化していたんだということを、子育ての随分あとになって知ることがあります。

そしてその一つとして、授乳後の体の変化です。
授乳後と言うと、まず乳首の色が違ってきます。
それは、やっぱり授乳をさせるので、少し以前よりも黒くなるのです。
その黒くなるというのは、女性として相当ショックです。
そんなに見せるものではないけれど、自分の体が黒くなるのは嫌ですね。

また乳首に関して、伸びてしまうということもあります。
これは、子供を授乳させる時に、子供が乳首を噛んでしまったり、引っ張ってしまったりするからです。
それを何度もするので、その結果、伸びてしまうのです。
これも相当恥ずかしいです。

また、乳房が授乳をさせたあとに、極端に小さくなる事も辛いです。
乳房は、しぼんでしまうという感じですね。
以前よりも、かなりしぼんでしまうので、人に見られたら恥ずかしいと思ってしまいます。
そのため、温泉などにいくことを、授乳後は躊躇するところがありました。
今は、開き直っていくことにしています。

この胸の変化について、何もしていないということはありません。

まず取り組んだのは、乳房のしぼみに対してです。
これについては、その乳房をまずマッサージすることにしました。
そのマッサージをする時に、マッサージクリームを買ったのです。
そのマッサージクリームは、通販で購入をしました。

安い買い物ではありませんが、自分のコンプレックスを治すことが出来るんだったら、安いと思うことができますね。
そしてそれをつけて、乳房をマッサージするのです。
すると、なんとなくボリュームが出たような感じになっています。
明らかにボリュームができたという感じではなく、少し変わったかなという、そんな感じです。

それでも自分の体が少しでも、以前のようにふくよかな胸になることができたことが、とても嬉しいですね。
自分の変化が見られると言うのは、本当に嬉しいです。
化粧品を買った時に、肌の状態がよくなることよりも、嬉しく感じます。

ボディラインは、ごまかすことがむつかしいです。
そのため、それをなんとかすることができて、少し感激しています。

また、乳首については今のところ、何もしていない状態です。
しかし、このままではいけないと思っています。
まずは、乳首の色について、なんとかしたいと思います!


先生に叱られた後の母の優しさ

私は子供の頃、埼玉の田舎の町に住んでいました。駅から近かったので駅前に行くとお店もたくさんあって賑やかでしたが、少しでも奥の方へ行くと川があり、その近くには田んぼや畑が広がっているようなのどかな場所でした。
今では見かけないような駄菓子屋さんなどもあり、子供の頃はいつもそこで駄菓子を買っては、公園のブランコに乗りながら食べたりしていました。
家族は五人家族で、真面目で堅物だけど子供達と遊ぶのは大好きなサラリーマンの父と、口うるさいけれども優しくて明るく、色々な遊びを教えてくれる料理上手な専業主婦の母、私より二つ年上で活発で美人で成績もよく、時々意地悪もするけどいつも一緒に遊んでいた姉、七つ年下のやんちゃな幼い弟、そして私はといえばのんびり屋でマイペース、勉強はそこそこできるけどスポーツはまるでダメな女の子でした。
クラブ活動などは特にせず、学校が終わると家で折り紙や読書などして過ごすのが好きなタイプでした。
今でも時々思い出す、悲しい経験をしたのは小学校三年生の時です。
その当時の担任の先生は、中年の女性だったのですが、体育会系でハキハキしており、やんちゃな男の子達を大声で叱り飛ばしたり、竹の定規で頭を叩いたりするようなタイプの先生でした。機嫌の良い時は冗談を言ってみんなを笑わせたりしていたので一部の生徒や親達からは慕われていましたが、怖い感じがして私は苦手でした。
私はどちらかというとおとなしいタイプの生徒だったので、めったに怒られることは無かったのですが、ある時会議室の掃除当番になりました。掃除が終わり、教室に戻って帰りのホームルームを受けていたのですが、そのホームルームが終わりに近づいた時、先生が不意に私に声をかけました。「〇〇、会議室の窓の鍵は忘れずに閉めたか?」と。その声にかぶさるようにして、日直の「きおつけー、れい!」の掛け声がかかりました。その時私はとっさに、先生の呼びかけに答えず、日直の声に従って、きおつけと、礼をしました。私が今口を開くことで、クラス全員のあいさつが妨げられてしまうと思ったのです。もちろん礼が終わったあと、改めて先生の問に答えるつもりでした。
しかし礼のあと、私が口を開くよりも先に、「おい、お前!なんで先生を無視したんだ!」という怒鳴り声がとんできました。
先生は私が問いかけを無視したのだと思ったのです。今思えば、先生のあの怒り方は大人気ないと思いますし、理不尽だと思います。自分もその場で理由を話せば良かったのですが。
でもその時の私は、先生が大きな声で自分に向かって怒鳴っている恐怖で、何も言う事ができませんでした。こっちに来い!と言われ、先生の机の前に立たされ、青い顔をしたままずっと彼女の怒鳴り声を聞いていました。頭の中は真っ白でした。かろうじて分かったのは、先生を無視するなんて最低だということ。私が会議室の窓の鍵を閉めるのを忘れたからその事を指摘されて無視したのだろう、そんな行為はずるいし、卑怯だということ。そんな事を延々と、気付けば二時間以上もお説教されていました。
私は心の中で、先生を無視した訳でも、都合が悪い質問だから答えなかったわけでもないのに、と思っていましたが、それを先生にわかってもらえるように説明する自信がなく、黙ったままでいました。
ようやくお説教が終わり、教室から解放された頃には外は夕焼けになっていました。
しょんぼりと肩を落としながら家路についていると、家の方角から駆け寄ってくる人影が見えました。母でした。
どうやら先生が私を帰した後で、こういう事情で帰りが遅くなりましたと家に電話していたようです。
先生がどのように事情を話したのかはわかりませんが、母は私の姿を見つけるなり、駆け寄って抱きしめてくれました。
その瞬間に張り詰めていた糸が切れ、私は母の腕の中で大声をあげて泣きました。
そして、先生に叱られたけど自分はそんなつもりではなかったこと、それを説明できずにずっと黙っていたことを話しました。
それを聞きながら、母も一緒になって涙を流してくれました。先生に誤解された悔しさ、悲しさと、母にわかってもらった嬉しさが一緒くたに混ざりあって涙となってたくさん流れました。
30代になった今でも、時々思い出しては、悲しさと、母からの愛を感じた嬉しさとを同時に感じる子供の頃の思い出です。